エソラことだま。 -臆病風のブログ-

どうせMr.childrenを書いてしまうんだ

『Atomic Heart』前編 90年代「ミスチル現象」とは何だったのか?その③

ジャパニーズポップの歴史は「Atomic Heart以前」と「Atomic Heart以後」に分けられる。

他に誰かが同じことを言っているのかは知らないが、僕は間違いなくそう思っている。

その分岐点となる1994年8月31日朝、僕はとあるレコード屋の前で開店を待っていた。
Mr.Children待望のニューアルバム、『Atomic Heart』の発売日である。
公式の発売日は9月1日だが、この日はいわゆる”フラゲ日”となる。そういえば「CDは前日にお店に並ぶ」という事実、誰に教わったわけでもないけど当時からなぜか誰もが知っていた。

店の中を覗いてみると、入り口のすぐ近くのおそらくお店の一等地らしき場所に、ど派手なタワー状に陳列されている真っ青のジャケットが見えた。アレがミスチルのニューアルバムに違いない。「早く買わせろ~!」小心者の僕は声にならない小さな声でつぶやいた。

CROSS ROAD』『innocent world』の大ヒットで一気に頂点に立ったミスチルが、両2曲を収録したアルバムを出す。しかもイノワーのリリースからわずか3か月後という速さで。現在でいえば『君の名は。』のDVDを映画公開終了直後に出すようなもので、「誰がどう考えても売れるよね」とオリコン好きの友人も鼻息を荒くして言っていた。
たこれも今では考えられないことだが、TVのゴールデンタイムにCMもしょっちゅう流れていた(CMはyoutubeで今でも見られる)。日本中で始まる1994.9.1へのカウントダウン。

そして時は来た。午前10時、CDショップはミスチル旋風へと続く扉をついに開けた。
開店したとき、店の前には僕以外にも10人ほどが列をなして待っていた。昔、CDとは並んで買う時代だったのだ。
並んでいた人全員が『Atomic Heart』を購入。タワーのように積まれ青いCDが次々と減っていく様子は、まるで神の怒りに触れて崩壊するバベルの塔。『Atomic Heart』はまさに変わりゆくJ-POPの象徴のように見えた。

家に帰って早速開封の儀を執り行う。ジャケットを開いての第一印象は、
「めっちゃ浜ちゃんに似ている人がいる」
CDジャケットの裏側にある田原の健ちゃんは、どこからどう見ても浜ちゃんだった。

f:id:mrchildren-esorakotodama:20171021140811j:plain

その日から僕は『Atomic Heart』を聴いて聴いて聞きまくった。朝から晩まで、起きてから寝るまでミスチル漬け、『Atomic Heart』漬けの日々を送っていた。
曲の感想や曲への想いはブログ後編に譲るが、当時ハタチそこそこの僕は、これからずっと、きっとMr.Childrenが解散するまで、彼らを追い続けるんだろうと漠然と考えていた。でもまさか2017年、平成の終わり間近になってもそれが続いているとまでは、さすがに想像しなかったけど。

最後に余談。
実は僕にとって『Atomic Heart』といえば”牛の交尾"なのだ。

その理由はこの年の大学のサークル夏旅行、確か阿蘇山に行ったときのエピソードにある。
移動するバスの中でも僕は、友人とお喋りをすることもなく、この旅行で使うために買ったCDウォークマンで『Atomic Heart』を聴きまくっていた。周囲に広がる阿蘇の雄大な自然とミスチルの音楽はよく合っていた。
草原からバスは牧場に入った。長閑に暮らす牛たちに目を細めながら僕は「そういえば『思春期の夏』って牧場が舞台だったな」などと考えていた。

その時だった。牡牛と思われる一頭の牛が、われわれの乗るバスが真横を通った瞬間、となりの牝牛(たぶん)のお尻に乗り上げ交尾を始めたのだ。
生まれて初めて他人(?)の性行為を見た瞬間だった。奇しくもそのとき僕の耳に流れていた曲は『Over』。バリバリ失恋の曲である。牛は仲良しなのに、曲の中の男女は上手くいかねえな。
「いつかラブホで牛のアベックに偶然出会っても、この時以上に綺麗になってないで」僕がそんなわけのわからない替え歌を口ずさんでいることも知らず、バスは牛の横を抜け、牧場を走り去っていった。