エソラことだま。 -臆病風のブログ-

どうせMr.childrenを書いてしまうんだ

『Atomic Heart』前編 90年代「ミスチル現象」とは何だったのか?その③

ジャパニーズポップの歴史は「Atomic Heart以前」と「Atomic Heart以後」に分けられる。

他に誰かが同じことを言っているのかは知らないが、僕は間違いなくそう思っている。

その分岐点となる1994年8月31日朝、僕はとあるレコード屋の前で開店を待っていた。
Mr.Children待望のニューアルバム、『Atomic Heart』の発売日である。
公式の発売日は9月1日だが、この日はいわゆる”フラゲ日”となる。そういえば「CDは前日にお店に並ぶ」という事実、誰に教わったわけでもないけど当時からなぜか誰もが知っていた。

店の中を覗いてみると、入り口のすぐ近くのおそらくお店の一等地らしき場所に、ど派手なタワー状に陳列されている真っ青のジャケットが見えた。アレがミスチルのニューアルバムに違いない。「早く買わせろ~!」小心者の僕は声にならない小さな声でつぶやいた。

CROSS ROAD』『innocent world』の大ヒットで一気に頂点に立ったミスチルが、両2曲を収録したアルバムを出す。しかもイノワーのリリースからわずか3か月後という速さで。現在でいえば『君の名は。』のDVDを映画公開終了直後に出すようなもので、「誰がどう考えても売れるよね」とオリコン好きの友人も鼻息を荒くして言っていた。
たこれも今では考えられないことだが、TVのゴールデンタイムにCMもしょっちゅう流れていた(CMはyoutubeで今でも見られる)。日本中で始まる1994.9.1へのカウントダウン。

そして時は来た。午前10時、CDショップはミスチル旋風へと続く扉をついに開けた。
開店したとき、店の前には僕以外にも10人ほどが列をなして待っていた。昔、CDとは並んで買う時代だったのだ。
並んでいた人全員が『Atomic Heart』を購入。タワーのように積まれ青いCDが次々と減っていく様子は、まるで神の怒りに触れて崩壊するバベルの塔。『Atomic Heart』はまさに変わりゆくJ-POPの象徴のように見えた。

家に帰って早速開封の儀を執り行う。ジャケットを開いての第一印象は、
「めっちゃ浜ちゃんに似ている人がいる」
CDジャケットの裏側にある田原の健ちゃんは、どこからどう見ても浜ちゃんだった。

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その日から僕は『Atomic Heart』を聴いて聴いて聞きまくった。朝から晩まで、起きてから寝るまでミスチル漬け、『Atomic Heart』漬けの日々を送っていた。
曲の感想や曲への想いはブログ後編に譲るが、当時ハタチそこそこの僕は、これからずっと、きっとMr.Childrenが解散するまで、彼らを追い続けるんだろうと漠然と考えていた。でもまさか2017年、平成の終わり間近になってもそれが続いているとまでは、さすがに想像しなかったけど。

最後に余談。
実は僕にとって『Atomic Heart』といえば”牛の交尾"なのだ。

その理由はこの年の大学のサークル夏旅行、確か阿蘇山に行ったときのエピソードにある。
移動するバスの中でも僕は、友人とお喋りをすることもなく、この旅行で使うために買ったCDウォークマンで『Atomic Heart』を聴きまくっていた。周囲に広がる阿蘇の雄大な自然とミスチルの音楽はよく合っていた。
草原からバスは牧場に入った。長閑に暮らす牛たちに目を細めながら僕は「そういえば『思春期の夏』って牧場が舞台だったな」などと考えていた。

その時だった。牡牛と思われる一頭の牛が、われわれの乗るバスが真横を通った瞬間、となりの牝牛(たぶん)のお尻に乗り上げ交尾を始めたのだ。
生まれて初めて他人(?)の性行為を見た瞬間だった。奇しくもそのとき僕の耳に流れていた曲は『Over』。バリバリ失恋の曲である。牛は仲良しなのに、曲の中の男女は上手くいかねえな。
「いつかラブホで牛のアベックに偶然出会っても、この時以上に綺麗になってないで」僕がそんなわけのわからない替え歌を口ずさんでいることも知らず、バスは牛の横を抜け、牧場を走り去っていった。

90年代「ミスチル現象」とは何だったのか?その②『innocent world』

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鼻歌で1万回、いや100万回は歌ったフレーズだ。

 

「こりゃとんでもない曲が現れた」

アクエリアスイオシス」のCMから流れる爽やかすぎるサビに、僕は日本中がこの曲の釘づけになる空気を感じた。

イオシス」商品自体は曲とは裏腹でパンチのない薄味だったため長く定着しなかったが、CMソングのほうは23年後の現在でも日本人の胸に流れ続けるスタンダードメロディとなった。

ミスチルの曲で最も売れたのは『tomorrow never knows』だが、ミスチルソングと言えば何?と問われて真っ先に浮かぶのは『innocent world』だ。イノワーはミスチルの代表曲、つまりアクエリアスイオシスが至れなかった「定番」の座にCMソングのほうがついたのだ。

僕はCMを録画してサビの15秒を何度も何度も、まさに飽きるほど聴いた。何とかフルバージョンを聴けないかとラジオをつけっぱなしにして、いつ流れかわからない曲を待った。それは合コンで「近いうちに電話するね」と言われて番号を教えた女の子からの電話を待っている心境(もちろん女の子の電話番号は教えてもらえなかった)と似ていた。

CDの発売日に大学に行くと、すでに友人数人が買って持っていた。当時はSNSもなく「俺これ好きなんだ」とアピールするのはなんとなく恥ずかしいという風潮があったが、そんなのお構いなく友人たちは飲み会にまでCDを持ってきて、この曲の良さを口角泡を飛ばしながら主張した。

他にも様々な「ミスチル現象」が僕の目の前で起こった。

夏だというのにパーカーを着る奴(僕も)、雨でもないのにフードを被る奴(僕も)が続出。

「カラオケでイノワーを歌うとモテる」という噂を聞きつけて試みるも、ラスサビの音程が高すぎてうまく歌えず、逆に冷たい目で見られてしまう奴もいた(僕も)。

いつの間にか「ミスチル」と略称で呼ばれだしたのもこの頃だ。

この頃からつい口ずさんでしまう《いつの日もこの胸に流れてるメロディ》は日本中の人の胸に流れた。

 

このようにして『CROSS ROAD』でスターダムに上ったMr.Childrenは『innocent word』で一気に頂点に達し、僕たちの日常の一部となった。

 

しかしミスチル現象はまだ終わらない。

9/1に登場したアルバム『Atomic Heart』が「頂点」のさらにもうひとつ上の世界を、僕たちに見せることになる。

 

 

 

 

 

 

 

90年代「ミスチル現象」とは何だったのか?その①『CROSS ROAD』

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今年の「Thanksgiving 25」ツアー、ヤフオクドームであるセトリに僕は震えた。

CROSS ROAD』から『innocent world』、そして畳みかけるように『tomorrow never knows』へと続く超豪華メドレーを披露。興奮したのは僕だけじゃない。その時の会場全体は歓声よりもどよめきが優っていた。
3曲合計のCD売上数なんと約600万枚。『CROSS ROAD』発売が1993年11月10日、『innocent world』(1994年6月1日発売)を挟んで『Tomorrow never knows』が1994年11月10日発売と、その間ちょうど1年。わずか1年間でこれほどのCDシングルのセールスを記録したバンドはMr.Children以外にはいない。また将来に渡り決して現れることはないだろう。

Mr.Childrenがブレイクから一気にスターダムにのし上がり、そのまま瞬く間にモンスターバンドへと成長したこの1年間を、人は「ミスチル現象」と呼ぶ。
僕はそこにどっぷりと嵌ってしまった世代として、その3曲(僕は「6ミリオンメドレー」と呼んでいる)を聴きながら、あの「ミスチル現象」とはいったい何だったのか?と改めて考えてみたくなった。
彼らを変え、音楽業界を変え、そして数多くのファンの人生を変えたこの1年を、3回のエントリーで振り返える。

第一回はまず『CROSS ROAD』である。


僕がまだ大学生だった1993年。
バンドブーム終焉直後の音楽業界はビーイング勢が全盛期を迎えていた。ZARDWANDS大黒摩季らがチャートを席巻。爽やかで耳に残るメロディ、タイアップを重視し「聞いたことのある」感の演出、曲のタイトルとサビのフレーズが同じというわかりやすさ。
それらはバブルが弾け、世紀末に向けて閉塞感が漂う世相に対し、大衆が求めていたものと合致するものだった。

そんな世相に抗うように世に出た曲が『CROSS ROAD』だった。『同窓会』(だったかな…)というドラマの主題歌に採用された。90年代当時は「ドラマの主題歌になりさえすれば売れる」というほどドラマの影響力が強い時代だったので、『CROSS ROAD』はミスチルとしてははじめて広く世に聴かれる曲となった。

「なんだこのいい曲は?」
CROSS ROAD』は今までに聴いたことのないタイプの曲だった。
男の情けなさや弱さをストレートに打ち出した歌詞、ところどころで踏まれる韻、そしてスケールが大きいのに聴き心地のよいメロディー。

ヘンテコな内容のドラマと反比例するように、曲の評価は日に日にグイグイ上がった。
「歌っているのは『ミスターチルドレン』っていう変な名前のバンドらしい」「確かポッキーのCMソングも歌っていた」と大学での話題の中に徐々にミスチルが登場するようになった。またバンドブームの頃のトガったものとは程遠い彼らのカジュアルなスタイルも注目された。いかにも僕らの隣にいそうな雰囲気が、当時音楽をあまり聴かない若者達の共感をも生んでいた。

しばらくはCDレンタル店に行っても『CROSS ROAD』は全く借りられない状態が続いた。他のシングルや過去のアルバムもいつも貸し出し中。
友人とカラオケボックスに行けば毎回『CROSS ROAD』の奪い合いが起きた。いや、たとえ誰かに歌われたとしてもオレも歌ってやる。オレもオレも。と同じ曲が延々続くという異様な状態となった。

それらの現象は急に起きたのではなく、静かに、徐々に広がっていった。音を立てないようにちょっとずつ空気を入れて風船を膨らませるように、Mr.Childrenは静かに緩やかに日本の音楽シーンに浸透していった。

桜井さんが「100万枚売れる曲ができた!」と豪語したという『CROSS ROAD』はその宣言通り、ミスチル初のミリオンセラーとなった。
しかも、一度もオリコン週間ベスト5に入らずに到達するという史上初の快挙も加えて。

しかしこの快挙はMr.Childrenにとってはまだ序章に過ぎなかった。
翌94年6月に発売される次のシングルが、彼らを一気にモンスターバンドにまで押し上げることとなる。

その2『innocent world』編に続く

【生誕特別寄稿】田原健一は安室奈美恵である。そして寿司屋のガリでもある。

 

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「これ、テレキャスター?」

坊主頭の野球部員は同級生の男が持っていたギターケースを開いてそう聞いた。
これがMr.Children誕生の瞬間である。
ギターケースを持つ男は高校時代の桜井さんで、野球部員のほうは本日(9/24)に48回目の誕生日を迎えた田原健一さんである。

現在ではブルーのテレキャスターが彼のトレードマークだ。

田原さんは多くを語らない、というより「何も語らない男」として知られている。インタビュー記事でも「…」か「特にないです」「言いたくない」という遠慮のない聞き手泣かせぶりだ。ライブでも口を開くことは殆どなく、たまにしゃべるとそれだけで観客がどよめく。その姿は先日シンガー引退を発表した安室奈美恵さんとダブる。アムロちゃんもライブでMCを入れることは少なく、最初から最後まで歌い踊り続けるそうだ。ともに言葉よりパフォーマンスで魅せる孤高の天才。

僕は音楽は全くの素人なので技術的なことはわからないが、田原さんのギターは心に響く。『イノセントワールド』や『Dance Dance Dance』のリフを聴くたびに「天才的だ~』って知ったかぶってしまう。

Mr.Childrenを人体に例えると桜井さんは「顔」、JENは「心臓」、ナカケーは「関節」だ。そして田原さんは「血液」だと思う。
田原さんのギターによって曲は動脈のように激しくも、静脈のように穏やかにもなる。まさに曲の生命線。曲全体に生命力を与える田原さんのギターワークは血液そのものだと思う。彼自身はとても血が薄そうだけど。

もう一つ田原さんといえば、僕は先日スシローで彼を思い出した。
テーブルに座り、備え付きのガリをお皿に盛ったとき、僕はふと「田原さんはこのガリだ」と確信してしまったのだ。
なぜそう思ったのか。それは田原さんがガリガリに痩せているから…などというダジャレではなく、寿司屋におけるガリの立ち位置が田原さんとクリソツだったからだ。
決してグイグイ前には出ない、メニューにも載ってない寡黙な存在。だけと無いと困る。寿司が多少不味くても、ガリが旨ければ何となく許してしまう、寿司屋の良心のような存在感。
ね、田原さんそのままでしょ。

これからもミスチルサウンドの血液として、ガリとして、そして安室奈美恵として、そのブルーのテレキャスで我々ファンを楽しませ続けてほしい。

お誕生日おめでとうございます。

Mr.children25周年感謝祭「Thanksgiving25」とは何だったのか?②【セトリ全曲レビュー後編】

 

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16.ランニングハイ
『沖縄』『足音』でしっとりとした空気が一転、会場全体が一気に明るくなり、歌詞に沿った映像が巨大スクリーンで流れる。僕が大好きな歌詞「亡霊が出るというお屋敷をキャタピラが踏み潰す」シーンもしっかりあった。

幻想にすがり、ただただイキがってた若いころの無鉄砲さはどこかに置いてきた。いまは凡庸な毎日ながらも前を向いて生きる男。僕らサラリーマンのある種の理想形が『ランニングハイ』には込められている。リーマンの悲哀を全肯定し、玉虫色でもイイじゃん!と叫ぶこの曲に救われた会場の男たちは皆、僕と同じように涙したことだろう。

 

17.ニシエヒガシエ
3Dメガネをかけたような赤と緑の光に照らされて、ハイだかローだかわからない不思議な気分になる。また途中から手拍子も合わなくなったり、歌詞を忘れてしまったり、聴くとなんらかの作用が生じてしまうのだろうか。誰か僕にも抗鬱剤をちょうだい!
《この指止まれ〜》の絶叫に合わせ、オーデエンスが一斉に人差し指を上げるお馴染みのパフォーマンス。これに合わせて「みんなで手を上げたら誰がその指に止まるんじゃい!」とひとりツッコミを入れるのも僕のお馴染みのパフォーマンスである。


18.ポケットカスタネット
この日いちばんのサプライズ選曲。イントロが流れた瞬間僕は思わず「えっ!」と声を上げてしまった。
前2曲でグッと盛り上がった空気が再び静まり返る。その落差からか、僕は最初桜井さんがどこで歌っているのか見失ってしまった。しかしこのセトリは演者も客もまったく息を抜くことができないな。
僕はこの曲を聴くと2007年のHOMEツアー(スタジアム)を思い出す。まだ若くて素直じゃなかった僕の心をすっと溶かしてくれたこの曲を、10年ぶりに生で聴けたのは本当に嬉しかった。

19.himawari
「今一番聞いてほしい曲、コテンパンにします!」という挑発的なMCに心は撃ち抜かれ、力強い桜井ダンスにまた撃ち抜かれ、そして曲の力に三度撃ち抜かれた。本当に心に響く曲だ。
ヤフオクDで披露された時『himawari 』はまだ発売前で、オーデエンスは一歩引いて聴いていたように思う。既発曲とはちょっと違う扱いだったのだろう。しかし既に発売され、しっかり聴き込んでから改めて生で聴いた『himawari 』は他の名曲たちと変わらない、いやそれら以上にMr.Childrenの一曲としてライブに溶け込んでいた。
僕にとってMr.children、君たちのいない世界ってどんな色をしてたろう?聴きながら僕はそう考えずにはいられなかった。


20.掌
All for one〜のコーラスから曲がスタート。イントロと同時にオーディエンスが夜空に手のひらを上げる。
歌詞に沿った映像がスクリーンに流れる。今回このケースが多いのは、ライトなファンでも楽しめるようにという感謝祭ならではの計らいかもしれない。
となれば今回はもはやレアとなった『掌』原曲ver.が聴けるかも?と淡い期待を抱いたがそうは問屋が卸さない。SUNNYさんとの掛け合いはすごく美しくて好きだかいいのだけれど。考えてみれば原曲をライブで披露したことは一度もない(たぶん)ので、もはやメンバーにとっては今のver.が原曲なのだろう。そもそもこの曲のメッセージは「認め合えればそれで素晴らしい」なのだから、ライブver.で曲は完結してるとも言える。

 

21.Printing
22.Dance Dance Dance
ライブもいよいよクライマックスに。
トゥルルル♪というお馴染みのイントロのリフが流れた瞬間から、僕は大いなる決意を胸に刻んだ。イントロのドン!というところでおそらく3度目の紙テープ投入があるだろう。しかもクライマックスに相応わしく大量に投入されるはずだ。過去2度までもゲットに失敗している僕にすれば、最後のチャンスを逃すわけにはいかない!僕は仕事では一切見せない集中力で曲に臨んだ。
そして「トゥルルル ドン!」の音とともに僕は上を見上げた。その時空には大量の紙テープが舞い上が、、、、ってない…音とともに舞い上がったのは綺麗な花火(紙吹雪だったかな?忘れた、ゴメン!)だった。
僕は虚しさを堪えながら、エア紙テープを掴もうとジャンプした。どんどん涼しくなる優しい風が、僕に向けて吹きすさいできた。

 

23.fanfare
《悔やんだって後の祭り》って、紙テープを取れなかった僕に言ってるの?なんとも計算され尽くしたセトリだこと。
それはさておき、この曲で会場のボルテージは間違いなく最高潮に達した。『fanfare』って音源ではなぜか聴く機会が少ない曲だったので、ここまで盛り上がるとは驚いた。
《やがて袋の鼠〜》からオーデエンスが歌うよう、桜井さんから促される。しかし興奮で歌詞がよく思い出せない僕は仕方なく大声ハミングバードと化した。イヤ、最後の《帆を張れ〜!》はしっかりと歌ったよ。

 

24.エソラ
桜井さんの「最後の曲!」というコールとともにおなじみのキラキライントロが流れ、会場は楽しいんだか残念なんだかわからないけど、とにかくすごい雰囲気になる。
やがて音楽は鳴りやむのはわかっていたが、それでも僕らは今を踊り続ける。まだ終わってほしくない、永遠に続いてほしい。そんな無茶で我儘だけど、正直な思いを込めて。
ライブが始まってからずっと仁王立ちだった前の席の男性が大きくを振っている。その隣の若い女性は泣いている。僕の右隣の女性は大声で歌っている。それぞれがライブの終わりに対して必死で抗っているようだった。
《Rock me Baby tonight》「今夜は俺を揺さぶってくれ!」という意味のフレーズが3万数千の声に乗って熊本の夜空に大きく響き渡り、ライブ本編は終了した。

 

25.Overture
26.蘇生
アンコールは『Overture』のイントロからスタート。曲とともに再びメンバーが会場に入ると、今日は少なくとも25回目以上となる大きな拍手が湧く。
『蘇生』だ!

『蘇生』は熊本市の大西市長がライブ当日、twitterで「今朝聴いた」と上げていた曲だ。大きな地震を経験した熊本のファンにとって、一際特別な曲の一つに違いない。
しかし人は何度でもやり直せる。そんなテーマの曲をアンコール一発目に持ってくるなんて罪作りな人たちだ。だって何度でも、いつまでも、永遠にこの夜が続いてくれると錯覚してしまうじゃないか。

 

27.終わりなき旅
『蘇生』が終わり、ブルーフラワーを持った桜井さんがスクリーンに映る。
会場全体からの大きな拍手に笑顔になるメンバー。異変はここで起きた。オーディエンスの拍手がいつまでたっても止まらないのだ。桜井さんがMCを始めようとしても拍手が止まらない。いや、止められないのだ。

これはおさまらないミスチルへの最大級の感謝の気持ち。そして寂しさと怖さからだ。
この拍手を止めた瞬間から、ライブの終わりが始ってしまう。この受け入れがたい現実に会場全体が恐れている。終わって欲しくない!そんな想いから誰も拍手を止めることができない。
しかし残酷すぎる時間のなかで、終わりは受け入れなければならない。桜井さんは拍手を優しく制するように最後のMCを始めた。
「ここまでは過去の曲をやってきたけど、最後の最後のこの曲だけは未来を歌います」
ステージの照明が消え、『終わりなき旅』。僕はこのライブ最後の曲を心に刻みつける思いで聴いた。

曲について述べることは、もはや何もない。
中川敬輔は興奮して手を挙げていた。鈴木英哉の汗は会場に届きそうなほどに飛び散っていた。田原健一は披露宴の新郎のような上下白一色の衣装でギターを弾く。そして桜井和寿は歌う、いや叫ぶ。
長いアウトロ。4人は会場を向かず、円を描くように向かい合って演奏する。「いいから最後は俺たちの演奏だけを聴いてろよ」僕はメンバーからそんな風に言われているように感じた。そして、ライブは終わった。

 

まとめ・「Thanksgiving25」とは何だったのか?
25周年という節目で演奏された27曲の殆どがシングル曲という特異すぎるセットリスト。僕のようなコアなファンはもちろん、「ミスチル?まあ好き」というライトなファンの方々も大いに楽しめたと思う。まるでスシローで次から次へと「濃厚ウニ包み」が回ってくるようなプレミアム感満載の贅沢さだった。

ライブ中、僕は曲を聴きながら発表当時の記憶を蘇らせていたが、これがまた鮮明に思い出せてしまうのだ。大学生だったイノワーの頃の情けない自分。熊本に住み始めたころによく聴いた『ニシエヒガシエ』。妻との出会いの証みたいな『365日』。そして熊本地震に遭遇した僕の心を支えてくれた『ヒカリノアトリエ』。あの曲の頃はあぁだった、この曲の頃はこうだった、と人生を振り返る3時間ミスチルの旅。

 僕の人生は本っ当にミスチルとともにあったんだ。改めてそう気づかせてくれたMr.Childrenとサポートメンバーそして全ての関係者の方々に心からお礼を言いたい。
そう、つまり「Thanksgiving25」ツアー=25周年感謝祭とは、ミスチルからファンへの感謝を伝える旅であると同時に、僕らファンからミスチルへの感謝を告げる時間でもあったのだ。数万人規模のドームやスタジアムで行われたこのツアーの動員はおそらくすごい数だろう。でもメンバーとファンが「感謝」というワードをしっかり共有しあえた今ツアーでミスチルと僕らの距離はすごく近く感じた。皆はどうだった?

 

しかし驚きなのはドームと、スタジアムで数曲セトリを変更しながら、どちらでも演奏されなかった名曲がまだまだあることだ(『しるし』『NOT FOUND』『光の射す方へ』『HERO』…キリがないからこの辺りでやめとこう)。それらは、桜井さんが「数年後必ずやる」と宣言してくれた次のツアーで聴けることを楽しみにに待つことにする。

 

そういえば本場アメリカの「感謝祭」といえば七面鳥を食べる日じゃないか。家に帰ったら食べちゃおうかな。
いやいや、さすがに今から七面鳥はハードルが高いな。

やっぱり「から揚げ棒」でいいや。

Mr.children25周年感謝祭「Thanksgiving25」とは何だったのか?①【セトリ全曲レビュー前編】

 

 

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はじめまして、臆病風@Dmと申します。

 

 2017年9月9日、熊本。
 秋の訪れを感じさせる心地よい風を受けながら、ミスチルで埋め尽くされた僕の夏も終わった。

 Mr.Childrenメジャーデビュー25周年を記念して「Thanksgiving=感謝祭」と銘打たれ、9会場15公演行われた今回のドーム&スタジアムツアー。吉野家の感謝祭は3杯目が100円になるという若干セコく感じるものだったが、ミスチルの感謝祭はセコくない。
そしてなんとツアーのファイナルの舞台は火の国・熊本「えがお健康スタジアム」。ミスチルとしては2011年以来6年ぶりの舞台で(ネーミングライツの関係で前回公演時は名前が違ったが)、僕の住む街である。
しかもDVDの収録(しかもはじめてHPで収録の事前告知がなされた)も行われるなんて、これは1年半前の熊本地震で被災した僕らへのミスチルからのプレゼントか?

熊本公演の意味はいったい何か?そして「Thanksgiving25ツアー」とは何だったのか?

まずは当日のセットリストを振り返り、ライブの興奮を蘇生する。(前編)

 

 

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1.CENTER OF UNIVERSE
「ここが宇宙の中心だ」というエゴ丸出しのメッセージからライブはスタート。イヤなことも、悩みも、残してきた大量の仕事も、今だけは全部忘れて、ただただライブを楽しもう。センユニはライブで頻繁に演奏されるけど、いつもこんな気持ちにさせてくれる曲だ。
まだまだ外は明るく、周りがよく見える。僕の5列ほど前の男性は指を骨折しているのだろう、包帯でグルグル巻きにしていた指をかばうように優しく手拍子していた。でもノリノリ。なんとも痛々しくて微笑ましい光景だった。

 

2.シーソーゲーム~勇敢な恋の歌~
ミスチル最高のアゲアゲシングル。オリジナルMVをバックで流しながら演奏という超贅沢仕様だった。この曲が発売された頃、僕は大学生だったな…コステロ桜井に憧れて似たカッコしたっけな。そんな黒歴史を思い出しながら曲は進む。
曲のクライマックス、大サビの「恋なんて~」に併せて轟音と共に客席に大量の紙テープが吹き上がり、会場のボルテージは一気に最高潮へ。そのとき僕の身にアクシデントが起こった。紙テープをゲットしようと跳びあがった。がバランスを崩して豪快に転倒、周囲のパイプ椅子を数台なぎ倒してしまった。頼むからこのことは誰にも言わないでくれ。

 

3.名もなき詩
たたみかけるように3曲目に早くも登場。「だからダーリ~ン」から始まるオリジナルアレンジに、会場全体から大きな拍手と歓声が上がる。
葛藤だらけの世の中に生きる男が愛する人に捧げる、あえて「名もなき」と題されたこの詩。リリースされたのは96年2月、僕はやはり大学生だった。その頃の僕はおそらく人生最大の金欠状態で、月末は晩飯がもやし炒めだけというひもじい日々。そんな有様にもかかわらず、数日の晩飯代を削って買ったのが『名もなき詩』のCDだ。CDを手に入れる喜び、おそらく現代の若者には決して味わえない感覚だろう。
名もなき詩』といえばサビでオーディエンスは手を挙げて曲にノるのだが、僕は手を挙げるのがいつも人よりワンテンポ早くなってしまい、周りの席の方々の視界を遮ってしまう。誰か僕に完璧なタイミングを教えてくれないか。

 

4.GIFT

ガッチリと心を掴まれた3曲の次は「いま一番贈りたい曲を贈ります」というMCからのGIFT。この曲を聴きながら何度も何度も思ったことだが、“白と黒の間に無限の色がある”って本当にスゴイ表現力だ。無限の色なんて僕には全く見えないけど、歌詞を読む「なるほど」と唸らされる。「歌詞とはこうあるべきだ」の代表のような表現である。
大サビの時、客席を映したスクリーンには青いリボンがかかっていた。「この曲を聴いてくれている客席のみんなこそが、僕らにとって最高のGIFTだ」という桜井さんの声が聞こえてきそうな演出だ。
僕のほうこそありがとう。そんな気持ちにさせてくれてありがとう。

 

5.Sign
久々の生signは『GIFT』からの流れというこれまた感謝祭ならではの贅沢なメドレーだ。タッグマッチでG馬場がタッチの手を差し伸べた先がアントニオ猪木みたいな豪華さである。
ライブはまだ始まったばかり。残された時間は僕らにはまだまだある。ここから送られるミスチルからのサインを何ひとつ見落とさずまい。僕はそんなことを考えている。


6.ヒカリノアトリエ
ここからメンバーが花道最前部に出てきての演奏。JENによる卑猥なメンバー紹介とインタビューで和んだとあとはホールツアーメンバーによる『ヒカリノアトリエ』。
ただここのMC、ドーム公演ではもっと長かった。特にこの曲は熊本地震をきっかけにできた曲だと紹介していたのに、この日その部分を控えたのはなぜだろう。僕は不思議に思った。
このライブはあくまで「感謝祭」、ミスチルからリスナーに「ありがとう」を伝えるためのお祭りである。その場で被災地に向けてのメッセージを発するのは違うのではと捉え、あえて表現を控えたのかもしれない。

 

7.君がいた夏
今回僕が最も聴きたかった曲。友人に「この曲が聴けたら僕泣いちゃう」と事前に話していたが、本当に泣いてしまった。まさか、地元熊本で、何万回も聴いたデビュー曲(正確にはファーストシングル、ミスチルはアルバムデビューだから)が聴けて、大サビを一緒に歌えるなんて夢みたいだ。
「涼しくなったけど、さっきまで確かにここに夏があった」というMCが笑いを誘う。確かにこの曲あたりから風が出て涼しさを感じ始めた。でもそんな気候にピッタリな、夏の終わりの恋の歌が胸に響いた。

 

8.innocent world
サビ「いつの日もこの~胸に」のソロから始まる映画「es」仕様。
この「いつの日もこの胸に流れてるメロディ」というフレーズは「心臓の鼓動」のメタファーであるという説があって、それはそれでなるほどそうかも知れないなと思う。だけど僕にとってはミスチルの歌こそがいつも胸に流れるメロディーだな。そんなことを考えながら聴いていた。
そして大サビで2度目の紙テープ噴射!僕は「今度こそ獲る!」と意気込んだが、つい数十分前に転倒という醜態をさらしてしまっただけに、まるで4つファールをもらったため退場を恐れてリバウンドが取れなくなった桜木花道のように縮こまってしまい、リベンジはならす。

 

9.Tomorrow never knows
ライブでこの曲のイントロが流れるだけで周囲が「おおぉ~」とどよめくのが快感だ。
スクリーンでは壮大な渓谷や海岸戦を猛スピードで飛び立つ映像が流れ、曲のイメージを増幅してくれる。そういえばこの曲のMVも同じような映像だったな。
ヤフオクDでは『CROSS ROAD』からイノワー→トゥモネヴァという、彼らがモンスターバンドへと羽化していく過程をそのままセトリで披露してきた。3曲合わせてCD売上がなんと約600万枚。僕は「6ミリオンメドレーや!」と一人で興奮して叫んでいた。ちなみに600万といえば西アフリカのシエラレオネ共和国の人口とほぼ同じ。つまりシエラレオネ人全員がこの3枚のCDどれかを持っている計算となる。

 

10.Simple
「ちょっと回りくどいことを言うけど『作詞作曲桜井和寿』という人格があるとして、その人がこの25周年に奏でてほしいと選ぶならこの曲」という桜井さんのMCから始まった『simple』の弾き語り。いつもそばにいる人に向けて感謝の想いを伝える曲をファンに向けて贈るなんて、Mr.childrenはファンとの距離をそんなにも近く感じてくれているんだな、とありがたく思った。
桜井さんもオーディエンスもみんな座り、やわらかい秋風に沿うように小さく身体を揺らしながら、まさにsimpleな気持ちで曲に聴き入っていた。

 

11.思春期の夏~君との恋が今も牧場に~
 このライブで、というより一度でいいから生で聴きたいとずっと願っていた曲。恋する人をただ眺めることしかできない情けない主人公は思春期の頃の僕自身。「君の髪が~」のフレーズはこの世で一番素敵な景色だと、大人になった今でも共感できる。
 ヤフオクドームでは演出なのか照れからか、JENの歌声がかなりふざけたテイストで、『思春期の夏』ファンの僕個人的には「もう少し普通に歌ってほしかったな」とちょっと残念に思ったのだ。でも熊本ではその願いが届いたのか(んなワケないけど)、かなり普通に歌ってくれて嬉しかった。

 

12.365日
 JENのパフォーマンスで乱れた(?)空気を一気に整える美しいイントロ。以前の定番演出だった「○○○は▲万人」のような資料映像は無し。JENの後だけにあっさりしていてよかったかな。
 久しぶりにライブで聴いたが、歌詞もメロディも優しすぎて思わず微笑んでしまう。
 ちなみにこの曲には僕と妻との奇遇なエピソードがある。
 僕と妻が付き合い始めたのは2010年8月28日。それから365日目の2011年8月27日、熊本で初めてのMr.Childrenライブ「SENSE in the field」熊本講演が開催された。付き合って365日目の僕たちの前(と言ってもかなり遠かったけど)で『365日』を歌う桜井さんを見ながら、僕は「これぞ奇跡だ」と涙したのは言うまでもない。

 

13.HANABI
 この曲もイントロが流れるだけで会場がどよめく。さすが最近(といっても10年近く前だけど)の人気曲。
『HANABI』はせつない。叶わない恋を叫ぶ歌にも聞こえるし、死別の歌にも聞こえる。夏に聴くにはせつなすぎる歌だ。でも花火のような一瞬の刹那であっても、美し輝く時ががあるからこそ人は希望をもって生きられるし、恋をするのだろう。そんな理想を求め続ける人間の前向きさも『HANABI』に内包されている気がする。
 こんな思いを抱きながら、ライブ定番の『もう一回』の大合唱で僕は誰よりも大きな声を張り上げた。そして喉はつぶれた。

 

14.1999年、夏、沖縄
 四の五の言わずにMCを抜粋(記憶の限り。脳内変換有御免!)。
「これまではシングルを中心にお届けしてきたけど、この歌はひょっとしたらはじめて聴く人もいるかもしれない」
「僕たちと同世代の人は知ってると思うけど、1999年に世界が滅びるという”ノストラダムス”の大予言があって、僕らはずっと音楽をやってそれで死ねたらラッキーだと思っていた」
「でも1999年になっても、2000年になっても2001年になっても正解は滅亡してなくて、2002年、僕らはデビュー10周年を迎えた」
「10周年の時も今と同じように大きな会場でコンサートをして、多くの人から『おめでとう』と祝福されたが、当時の僕たちは素直じゃなくてひねくれたから、10周年て言ったってレコード会社や事務所が騒いでいるだけで、インタビューでも僕らは『一日一日を大切にする』なんて答えてた」
「僕たちの音楽を聴いている人たちだって、そのうちすぐどこかへ行ってしまうんだろうと思ってた。でも、今でもこんなにたくさんの方がお僕らの音楽を聴いてくれて、ライブ会場に足を運んでくれて本当に嬉しい」
「僕らと同年代のミュージシャンたちが病気になったり亡くなったりする。僕たちもいつまでできるかわからないけど、できる限り音楽を続けたい」
 そう言って桜井さんは深々と、本当に深々と頭を下げられた。
-時の流れは速く、もう25周年なのだけど-とちょっとアレンジされた歌詞を聴きながら、僕はこ心の中で「おめでとう」とつぶやいた。

 

15.足音 ~Be Strong
 上のMCから『足音』って、そりゃないよ。泣けって言ってるようなもんだ。
「また一歩、次の一歩」って彼らは、まだまだ足音を踏み鳴らし続けてくれるつもりだ。目の前でこんなにスゴイものを見せつけているというのに。

 

ここでライブが終わっても違和感のない充実っぷりだが、まだまだライブは続く。

(後編へ)

 

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